家相とは?
家相は古代中国で生まれた
鬼門という言葉を聞いたことがあるでしょう。鬼門の方角に便所を作ってはいけないとか、鬼門に台所を作ってはいけない、などというタブーが言い伝えられています。この鬼門説は、家相のもっとも代表的でポピュラーな考え方ですが、ここに見られるように方角と間取りの関係、あるいは、家の敷地の形や方角、まわりの環境、家の形などを問題にするのが家相です。
この家相のよしあしが、そこに住む個人や家族全体、さらには子孫の運命を左右すると考えるのが、家相の立場です。たとえば、西から北にかけて高く、東から南にかけて低くなっている宅地は吉相で、そこに住む人は子孫にいたるまで繁栄すると言います。ところが、まわりを山で囲まれた土地は、一時は栄えるけれども、まもなく衰えるというぐあいです。
家相も占いの一種で、人相や手相などと同じく、古代中国に生まれたものです。このように、相、つまり物事の形にあらわれたものを判断することで運命を占う方法を相学と言います。
これは、過去に起こった事柄を整理し、そこに経験的な法則を発見することによって未来を予知しようとするものです。中国で生まれた占いには、この相学と易占いの二つの大きな分野があります。中国の人びとほ、昔から、ほかのどの民族よりも強い占いの関心を持っていると言われますが、どの占いの根底にも流れている考え方があります。占いの根底にあるばかりでなく、古代中国の思想を支配したといってもよいでしょう。それは、陰陽五行説と呼ばれるものです。
家相の考え方も、この陰陽五行説によっています。といっても、それがすべてではありません。さきほど、相学が過去の経験を法則化して、そこから未来を予知すると言いましたが、家相の場合も、中国人が家に住むようになって以来の、住まいについての知恵が基礎になっています。
中国大陸、とくに中国文化の中心であった黄河中流地域の気疾風土の中で、いかに住みよくするか、いかに安全な家を作るかという長年の工夫がこめられているのです。この生活の知恵を、陰陽五行説によって飾り、論理づけたものと言ってもよいでしょう。
宇宙は、陽と陰の二つでできている
ここで、まず、陰陽五行説とはどんなものかにふれておきたいと思います。陰陽説と五行説は、深い関係にあるけれども、それぞれ独立したものです。
まず、陰陽説について説明すると、これは、宇宙は、陽と陰の二つの原理から成り立っているとする考え方です。陽とは日当たり、陰とは日陰を意味し、相反する二つの性質をあらわしています。この陽と陰の二つの原理が循環し、融合し、変化するところに、この世の中のすべての事象は起こるのだと考えたのです。この二元論を形づくるもとになったものは、もっとも身近には、男と女という二つの性であり、あるいは、日と月、夏と冬、天と地というように対置される二つのものの組合わせだったと思われます。
この考え方によれば、陽と陰はさらに二つずつに分かれて太陽、小陽、太陰、小陰になり、またそれぞれが二つに分かれて乾、兌、離、震、巽、坎、艮、坤の八つになります。この八つがいわゆる八卦であり、それを組み合わせて未来を占うのが、易占いなのです。八卦にはそれぞれの意味があり、その意味にしたがって、季節や時刻、動物、体の部分、人間関係などが結びつけられています。たとえば、乾は形は天で、その意味するものは剛健、季節は晩秋から初冬、時刻は午後九時から十一時、動物は馬、体の部分は首、人間関係は父親にあたるというぐあいです。家相を占う場合に重要なのは方角ですが、この方角ほ、つぎのように配されています。
乾=北西 兌=西 離=南 震=東
巽=南東 坎=北 艮=北東 坤=南西
だから、北西は乾の性質をもった方角であり、南西は、坤の従順という性質をもった方角であるというふうに、方角には、それぞれ異なった性質があるというのです。
宇宙を支配する五つの要素
二元論の陰陽説に対して、五行説は、木、火、土、金、水の五つの要素で形成されているとする考え方です。この5つの要素が、盛んになったり、衰えたりすることによって、自然の移り変わりが生じ、人間の運命が変わるなど、争宙のすべてが循環すると考えたのです。
この五つの要素は、文字どおりの地に生えている木や燃えさかる火そのものをさすだけではありません。たとえば火なら、熱や光をも意味するものであり、人間の楽しみの感情もまた火です。
このようにして、自然の中のすべてのものを、その性質によって分け、五行に配しました。方角で言えば、
木=東 火=南 土=中央 金=西 水=北
となります。
では、この五つの要素のおたがいの関係はどうでしょうか。これを説明する二つの考え方があります。その一つは、五行相勝説あるいほ五行相剋説と言われるもので、おたがいを対立の関係でとらえています。それによると木は土に勝ち、金は木に勝つ。火は金に勝ち、水は火に勝つというのです。したがって五行に配されたいろいろな事柄の間にも、このような対立の関係があるのです。
もうーつの考え方は五行相生説で、五つの要素を循環、併立の関係でとらえています。木は火を生じ、火は土を生む。さらに土は金を生み、金は水を生じるというのです。
結局、五行説は、自然現象から国の政治、個人の生活にいたるまで、あらゆる事象を、この五行に割りふり、それを五行相剋説と五行相生説によって判断し、吉凶を占うのです。
これで、陰陽説と五行説のあらましがわかりました。この説は、それぞれ別に起こり、発展ていたのですが、しだいに深い関係を持つようになり、組み合わされるようになりました。たとえば、五行の木、火、土、金、水に陰陽を掛け合わせたのが十干です。木の陽がキノエ(木の兄)、木の陰がキノト(木の弟)というように五行にそれぞれ陽と陰を配し、甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、宰、壬、英の十文字に当てました。この十干に、子、丑、寅、如、辰、巳、午、未、申、酉、戊、亥の十二支を組み合わせたものが十干十二支という六十進法の暦です。宇宙を形成する五つの要素が陰陽循環の理と合わさって、おたがいに循環しあうことによって、自然現象や人事が起こるというわけです。
家相についても、陰陽五行に割りふられた方角と、そこに置かれる部屋や設備との相性によって書凶を判断し、そこに住む人の運命を占うのです。
家は風土が作る
家相を「家」の面から見なければなりません。家は、雨や見など自然から人間を守るものです。だから、その土地の気候風土と密接な関係があります。気侯風土を無視しては、家の形も、間取りも、材料も考えられないのです。
では、中国の家を作った自然条件はどうでしょうか。まず第一は、一年を通じて、また一日の中での温度差がはげしい大陸性気候であることです。第二は、オルドス、モソゴルの方向から冬から春にかけて、強い北西風にのって黄塵が吹きつけることです。第三は、黄河の氾濫です。
中国には、「水を治める者は国を治める。」という言葉があります。これは、黄河がたびたびあふれて流れをかえ、農作物や家を押し流したので、その対策こそが帝王のいちばん重要な役割であったことを意味するものです。
このような自然条件から人間を守るための工夫、さらに積極的に、夏涼しく、冬暖かく住むための工夫、家を安く建て、長持ちさせるための工夫などの累若が、家相の中にはたくさん集められ、体系化されているのです。
家相に発見された建築学的真理
このようにして中国で完成した家相が、日本にはいってきたのは奈良朝のころと考えられます。はじめは、宮廷建築に利用されました。家相では、東に川が流れ、西に大道があり、南に平地、北に丘陵がある土地を、青龍、朱雀、白虎、玄武の四神相応の地として最上の土地であるといいます。これほ、色と動物を五行に当てはめ、それを方角と結びつけたものです。平安京、今の京都は、まさにこの条件にぴったりの場所につくられたのです。そして、北東を、鬼の出入りする方向として避けた鬼門説にしたがって、京都の北東、比叡山に延暦寺を建て、鬼門除けとしています。この後の時代にも、宮廷の建築には家相の考えが十分に取り入られています。貴族や武士たちの家にも採用され、江戸城もその教えにしたがっています。
一方、民間にもしだいに広がり、迷信と結びついて、庶民を強く支配しました。桃山時代から江戸時代にかけて、日本の建築様式、技術がほぼ完成されると、家相も、それにしたがって、中国から伝わった原型、日本独特の気質土、日本建築の特殊性をミックスした日本的家相が完成しました。
家相は、住みよい家を作るための経験的な知恵の累積に、陰陽五行説という前時代的未来予見術の装い着せ、素人にはわかりにくくすることで、いわゆる家相見の権威をつけたものです。
だから、その難解というより不可解の装いをはずしてみると、そこには、だれにもわかり、現代の家にも十分通用する科学的真理を発見することができます。
建築学的真理を含んだ家相なのです。
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